FIFAサッカーW杯カタール大会、日本は大方の予想を覆しドイツ、スペインという優勝候補を打ち破ってベスト16の切符をもぎ取った。
その両試合とも1点先制を許した後半に出場し、どちらも値千金の同点ゴールを決めた堂安律選手(24歳)。
「まぐれではなく必然だ」と言い放つ世界屈指の選手に成長した堂安律選手はどのような少年時代を過ごしたのか、いつ頃からその片鱗を見せ始めたのか、そのパワーの源とは何なのかなど調査してみました。
【世界を意識する小学生時代】
兵庫県尼崎市出身の堂安律選手は、2人の兄の背中を追い3歳でサッカーを始めました。
地元チームで周りを驚かせるサッカー小僧は、やがてプロサッカー選手が夢になると、
「俺はサッカーしかしない。勉強なんていらん」と両親に言い放ったそうです。
こういったところは正にストライカーの片鱗ですね。
所属することになる西宮SSとの出会いの逸話を見つけました。
西宮SSは毎年全国大会出場を目指している強豪チーム。
しかし当時3年生のチームの主力(FW、MF、DF)が一気に退団してしまうというハプニングが起こりました。
その穴を埋めるために急遽試合当日に追加登録し参加することになった3年生が以前は隣町のチームに在籍していた堂安律選手でした。
当時のコーチは
「驚きましたね。他の子たちとはフットワークやドリブルのテクニックがまるで違いました。ボールを持てば、あっという間に3人、4人とかわしていってゴールを奪ってしまう。初参加のその大会でいきなりMVPと得点王になったんです。」
そして
「とにかく負けん気が強い。でも明るくて、人を惹きつける魅力がある」
と振り返る。これは堂安律選手のイメージそのものですね!
練習では上手くいかないと何度でも繰り返すほど当時から自分に厳しく妥協しなかったそうです。小学生とは思えませんね。
小学校高学年では、「4、5年後に海外に行く」と言い切ったそうです。
小学生時代には既に現在のビジョンを持っていたんですね!
これには本当に驚きです。
【反骨心という名の原動力】
10歳からはよりレベルの高いところでサッカーをしたいと思い、セレッソ大阪アカデミーのテストを受けましたが落ちてしまい、その時に考えた事が
「この先必ずセレッソの方からオファーを貰って、それを1秒で断る」だったそうです。
中学進学の際には数々のユースチームからオファーがあり、セレッソ大阪からも声がかかったそうですが、10歳の時の誓いのまま1秒で断ったそうです。
なんという反骨心!
この反骨心こそ現在の堂安律選手を支えるパワーの源なのかもしれませんね。
堂安律選手は、8歳上の・麿(まろ)、3歳上の憂(ゆう)の3兄弟の末っ子として生まれ、厳格な両親の下で育てられました。
堂安律選手の負けず嫌いはこの頃からだったようですね。
兄ふたりにも色々と叩き込まれたから勝気に育ったようで兄弟喧嘩をして泣かされると、逆に兄を泣かし返しに行くような子だったとのこと。
【活躍の軌跡】
中学進学時、1秒で断ったセレッソ大阪のほかにもガンバ大阪、名古屋グランパス、JFAアカデミー福島等々。そのなかから堂安律選手はガンバ大阪ジュニアユースを選びました。
そこからは物凄い勢いでステップアップを遂げていき、17年(19歳)にはトップチームで活躍し、5月に韓国で開かれたU-20ワールドカップでの4試合・3得点という活躍を機に6月にオランダのフローニンヘンへと移籍しました。
海外挑戦1年目から9得点・4アシストの成績を残し、サポーターが選ぶ年間最優秀選手に輝きました。
19年(21歳)にはオランダの強豪PSVへと活躍の場を移し、昨季はドイツのビーレフェルトでチームトップタイの5得点を挙げました。
昨年夏、レンタル先のビーレフェルトから復帰し、PSV第二期をスタートさせ8得点を記録した。
そんな活躍と並行して18年8月(20歳)からはA代表でも常連となりました。
【まとめ】
W杯での目標はベスト8ではなく優勝だと言い切る堂安律選手は
決してビッグマウスなどではなく、自信を持って可能であると言っているのだということが今回幼少期からの軌跡を調査して良く分かりました。
小学生の時から現在のビジョンを頭に思い浮かべ、反骨心をパワーの源として世界に挑み続ける堂安律選手はW杯ですら通過点なのかもしれません。
いつか本当に世界年間最優秀選手に贈られるバロンドールを取ってしまうかもしれませんね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
コメント